プロフィール

プロフィール
*長崎県の「生月」という小さな島で生まれ6歳まで育つ

*学校卒業後、保育士(公務員)となり保育園へ配属される
*1992年 次男の育児休暇明けに保育から療育(障がい児施設)の世界へ
*異動により保育園へ戻り統合保育に奮闘する
*2002年 自己都合により退職し専業主婦となる
*特別支援学校で肢体不自由児について学ぶ
*放課後等デイサービスの立ち上げに携わる
*事業所では親御さんの心のケアが十分にできないのでheart,マザーグースを開設する
『毎日の苦労が幸せにつながるカウンセリング』 主宰


 
私は、長崎の小さな島で3人弟妹の長女に生まれました。
自分より小さい子どもが大好きで6歳下の弟のおむつを替えたり、生まれたばかりの従妹を抱っこしたり、幼稚園の友だちを自宅によんでお遊戯ごっこをしたりして遊ぶ子どもでした。

現在、カウンセラーとして活動している私が「なぜ保育士からカウンセラーになったのか」を紹介することで、少しでも私の想い考え方人柄を感じていただければ幸いです。
  ↓  ↓  ↓

【目次】
*保育士1年目で障がい児を担任

*予期せぬ辞令で保育園から障がい児施設へ異動
*障がいのある子どもの「親」の気持ちと、子ども達から学んだこと
*再び保育園に戻り、障がい児と健常児の関係づくりに悪戦苦闘する日々
*忙し過ぎてわが子にしわ寄せが…母親として後悔しない道を選びたい!と退職を決意
*仕事を辞めて手に入れた「ゆったりとした子ども達との時間」
*介助する側よりも「介助される側」の大変な気持ちを理解した経験
*放課後等デイサービスを渡り歩いた、受難の日々と気づき
*紆余曲折あったからこそできる「本当にやりたかった活動」と、心の中で想い描いている事

保育士1年目で障がい児を担当


初めて担任したクラスは、4歳児20名。

その中に、知的障害(言語障害)のA君を含めたクラス担任でした。 

クラス運営も初めて

障がいのあるお子さんを預かるのも初めて
先輩両隣に保育室をはさんでもらい、恵まれた環境でした。

4歳児といえば、、

「自分のことが一人でできそうだけれどできない」

そんな発達段階の年齢の子ども達でした。
A君に対する私の関わり方を側でじ~っと見ながら同じようにA君に関わろうとする素直で優しい子ども達でした。

発語の少なかったA君が、私の顔を見て「みどりさん!(クラス名)」と、発した時の感動は今でも忘れられません。

毎日が緊張の連続の日々でしたがA君との出会いによって、
障がいのあるお子さんについて
もっと勉強したい!
という気持ちが、湧いてきました。


予期せぬ辞令で保育園から障がい児施設へ異動

次男の育児休暇明け、保育園から障がい児施設へ異動になりました。
もう少し保育の勉強をしてから療育を勉強したかったのでショックでした。気持ちの切り替えがつかないまま不安な気持ちで4月1日を迎え
いきなり療育の世界に放り込まれた私は…

ご想像の通り…

何もわからない療育がスタートし、不安な私を見透かすようにあの手この手と困らせてくるBくん。
一生懸命に関わろうとすればするほど逆効果。

そんな中、こんな出会いがありました。
「4月のクラスだより」に担任自己紹介で
「長崎県の生月」と出身地を載せると、
数日後…
Cちゃんのお母さんから「私の母も同じ出身地です」
と、言われたので詳細を話していくうちに親戚だという事がわかりました。こんな不思議な出会いがあるんですね。鳥肌が立ち驚きました。
Cちゃんは、身体に重い心臓疾患を抱えていたので小5で亡くなってしまいましたが、いつも笑顔で愛嬌があり頑張りやさんでした。

不本意な人事異動だと思っていましたが、Cちゃんとの出会いは「親戚の子がいるから、ちゃんとみてやるように」と、先祖からのメッセージだったのでしょう。

自分の意志や気持ちを言葉で上手く伝えられない子ども達は、周りの人の心の中を読み取る気持ちが育っています。

私が不安な気持ちで子どもたちと関わると、それを見抜き、色々な形で試して困らせてくるのです。
子どもたち一人ひとりとの「信頼関係の大切さ」を痛感すると同時に、障がいのある子ども一人ひとりを「丁寧に理解すること」を学びました。

障がいのある子どもの「親」の気持ちと、子ども達から学んだこと


異動した当初は「障がいのある子どもの親」だからと過敏になり言葉を選んで話していましたが、やがて信頼関係ができて色々な話ができるようになりました。
『障がいのあるわが子への正直で素直な気持ち』
『障がいのあるわが子が生まれてきた時のショック』
『悲しくて々たまらない、やりきれない気持ち』
『これから、わが子をどう育てて行けばいいのか?』毎日、途方に暮れていた時の様子。
『暗闇のどん底から、わが子のために再起して
頑張ろうとする様子』
『障がいのあるお子さんの将来のこと』
健康な子どもを持つ親(私)には、とても衝撃的な内容のお話ばかりでした。

涙なしでは語れない…聴けない…

自分が健康に生まれて来た奇跡
健康に生まれてきたわが子への感謝

もし、自分に障がいのある子どもが生まれてきたら、どんな気持ちになるのだろうか?
ここにいる、お父さんやお母さんのように笑顔で元気に子育てができているのだろうか?
自分の立場に置き換えて考えながら、色々な感情が湧いてきました。

『ここでの経験があったからこそ今の私がある』

と、言っても過言ではありません。

再び保育園に戻り、障がい児と健常児の関係づくりに悪戦苦闘する日々


再び辞令により、保育園勤務に戻った私は乳児担当になりました。
0歳~2歳の健常の子ども達ですが、

『すご~い!こんな事もできるんだー!!』

と、乳児期の発達段階の姿に改めて感動しました。
また、乳児は複数担任制で保育方針を話し合いながら保育を進めていくのですが、たまたま違和感を感じることが多々あり、先輩に意見や思いを伝えても受け入れられず自分のやり方を強要してくる先輩への不満が募り、気づけば円形脱毛症になっていたこともありました。

幼児担当になってからは、障がい児と健常児がお互いに刺激し合える関係づくりに悪戦苦闘しました。
「先生、○○ちゃんは、どうしてできないの?」
「先生、○○ちゃんが邪魔してくる!!」
健常児の障がい児に対する素直な言葉に、どのように伝えればわかってもらえるのか悩みました。

障がい児に対する健常児の理解。
健常児の刺激を受けながら色々なことを体験し成長していく障がい児。
子どもたちは、障がい児だろうが健常児だろうが同じ友だちとして関わるので垣根はありません。
お互いが対等に関わっていきながら友だち関係を学んでいきます。
そして保育士の障がい児に対する『言葉のかけ方』や『関わり方』子ども達はよーく見ているんですね。
保育士は、子ども達のお手本です。

幼児期から、自分とは違う
『こんなお友だちもいるんだ』
と、いう体験を通して一緒に過ごしながら、お互いがお互いを受け入れて存在を認め合う。

そんな友だち関係や仲間意識から次第に自然と

『優しく関わろう』

『困っていたら助けてあげよう』

と、障がいのある友だちに対しての関わり方や言葉のかけ方を学び、お互いに刺激し合い成長します。
そんなことを学び考えながら、障がい児と健常児が心地良い関係で過ごせるような統合保育に尽力した日々でした。

忙し過ぎてわが子にしわ寄せが…
母親として後悔しない道を選びたい!と退職を決意


5歳児30名、1クラスのみの担任をしていました。

5歳児に関する仕事は全て自分一人でやらなくてはいけない状況でした。
毎日、帰宅するのが遅く疲れていても、子ども達の食事だけは自分で手作りしようと決めていました。
ある日、どうしても手作りをする時間がなくて、いつもの手作りハンバーグではなくスーパーで買った総菜のハンバーグに野菜を添えて夕食に出しました。

一口食べた瞬間に…

『お母さんの作ったハンバーグが食べたいの!!』

と、今までの想いを吐き出すかのように次男に言われてしまいました。
この言葉が胸に突き刺さっていつまでも頭から離れませんでした。

仕事優先で子どもを後回しにしてしまう状況。
祖父母がみてくれているという安心感はあるものの、子ども達が祖父母ではなく私との関わりを求めているのを感じていた頃より、「このまま仕事を続けていていいのだろうか?」という気持ちが大きくなりました。
そんな日が3年続き、子ども達が思春期にさしかかった頃、仕事を辞める決心をしました。
子ども達が大人になった時、『あの時、お母さんに○○してほしかった…』と、言われないように、自分が後悔したくないと思ったのです。

仕事を辞めて手に入れた「ゆったりとした子ども達との時間」

退職した初日4月1日の朝。
「今日から専業主婦。事務仕事から解放された~!!」と、とても嬉しかったのを覚えています。
部屋の片づけ、子ども達の学校行事への参加や習い事の送り迎え、ご近所さんとのおつき合いなど。ようやく普通のお母さんになった気分でした。何より嬉しかったのは、学校から帰って来た時の子ども達の『ただいまー!!』の声
子ども達は言葉にこそしませんでしたが、お母さんが家にいて嬉しいという気持ちが表情や行動から感じられ、「仕事を辞めてよかった!」と心から思いました。

介助する側よりも「介助される側」の大変な気持ちを理解した経験

わが子達も自分の目標に向かって進み出した頃。
以前から考えていた「身体が不自由で車椅子生活をしている子どもたち」について学びたいと思い、特別支援学校へ介護員として勤めることになりました。
現場に飛び込んでみると…
一人ひとりに合わせて車椅子が工夫されていたり、それぞれの状態にあった介助の仕方があることに気づかされたり、車椅子を押すのも初めての私にとっては覚えることばかりでした。

慣れてきた頃に感じたのは、介助する方は大変」と思いがちですが『介助される側はもっと大変!!』ということ。
自分の気持ちを言葉で伝えるのが困難な子どもたちの、微かな表情や動きを見逃さないように、発する声を聞き逃さないようにすることが大切です。
子どもたちに「これで大丈夫?」「痛いところない?」と声をかけながら子ども達が安心して介助が受けられるように心がけてきました。
ここでの経験は、これ以降の私にとって、とても貴重な経験となっています。

放課後等デイサービスを渡り歩いた、受難の日々と気づき

『これまで経験してきた事を活かしながら、障がいのあるどもたちの療育がしたい!』
ただ純粋にこんな気持ちだった私ですが、予期せぬ困難に遭遇することになりました。

① NPO法人で放課後等デイサービスの立ち上げに携わる

 NPOって何? 特定非営利活動法人って??
こんな認識しかなかった私にとって、ゼロから全てを作り上げる放課後等デイサービスの立ち上げは衝撃的なものでした。

そんな立ち上げから2年目のことです。

他部署の立ち上げメンバーで、自分の子どもを利用させながらスタッフとして働いていたEさん。Eさんの子どもは発作が頻繁に起こると聞いていましたが、ある時、一人ポツンと車椅子に座っていました。
どうやら自分の子どもにビデオを観させておいて、他の利用者さんの送迎に出てしまったようです。

発作が起きるといけないと思い、他のスタッフが出勤して来るのを待ちながらEさんの子どもの傍で様子を見守りました。

しばらくして、Eさんが送迎から戻って来たので「困った時は、遠慮なく言って下さいね~!」と、声をかけると「大丈夫、大丈夫…」と、返されてしまいました。
この瞬間、やっている事が 本末転倒 だと思ったのです。


自分の子どもの居場所をつくるために立ち上げたのではないのだろうか??
誰もいない所にわが子を置いて、もし何かあったらどうするつもりだったのだろう?

前日に他のスタッフに伝えて助けてもらおうと思わなかったのだろうか?
想像すると 怖く なってしまいました。


② 管理者が何人も変わる仲よしクラブ

知人の依頼で受けました。
立ち上げ当初のパートさんが根強くて、自分達の思い通りにならないと団結して管理者を辞めさせる。そんな体質の事業所でした。

後になり私で管理者が5人目と聞いて驚きました。

「仲よしクラブ」の体質を改善してほしいと言われましたが、私の手には負えません。
私は、仕事をする上でモチベーションが低く仕事仲間をあだ名で呼び合うような雰囲気にはメリハリがなく抵抗を感じてしまいます。
子ども達にも決して 良い人的環境 とは言えません。


③ 利益目的の事業所

これから経営者として初めて事業所を起業する合同会社でした。
スタートは代表を含む私と指導員の3人で療育の経験者は、私一人でした。事業所の方向性など何も決まっていない状況でオープンしました。

軌道にのって2年目。
共同経営者が加わったことで、どんどん 方向性が変わって行き 不信感 を抱くようになりました。

お子さんの為ではなく利益が目的の方向に向いていることを強く感じたのです。

私を含めて「今後、どのような方向性で行くのか話し合いたい」と、言われたものの、それきりで状況は変わらないまま。
もちろん代表には、自分の意見や思いを何度も伝えました。

子ども達は「物」ではない!

大切な『命』を預かっているのだと…。

その後、ようやく訪れた話し合いの場。
体調を崩して病休中の私に代表は…

『自発管(児童発達支援管理責任者)が偉いとは思っていない』

『事業所を立ち上げるのに採用したまで』

と、言い放ったのです。

ショックで言葉を失いました。
『使い捨て』の言葉が頭に浮かびました。

自分が納得のいくまで放課後等デイサービスの渡り歩きをしていましたが、ここでピリオドを打とう決めました。

その理由は、4つあります。

◎ 自分の描く療育に中々巡り合わないから

スタッフの指導に時間をとられ、自分の仕事は進まず責任を負わされることが多くなっていました。
ストレスが溜まるばかりで、自分の思い描く療育には辿り着けません。
『それなら自分のやりたい事に時間を使いたい』と思うようになりました。

◎ 私の承諾なしに管理者も兼務になっていたから

経営の為なら手段を選ばない会社の方針にあきれ返り、やる気が失せました。勝手に管理者にもされており、自発管(児童発達支援管理責任者)の仕事にも、やりがいを見いだせなくなってしまいました。

◎ 自分の今までの実績や経験をもっと大切にしたいから

自分の実績や経験を安売りしたくない!
本当に必要とされている子ども達やお母さん・お父さんの力になりたい!!
という想いが強くなってきました。

そして、一番の理由は…

◎ この仕事に携わるたび、体調を崩してしまうから


私の中で療育に対するいが強すぎるあまり、無意識に頑張り過ぎてしまいました。そして心が疲れ果ててしまい体調を崩す『悪循環』に気づいたのです。
* 自分の心身を壊してまで頑張る必要はない
まずは、自分の心身の健康が大切

この2つに意識を向けながら、しばらく自分の心身の健康をとり戻すために時間を使いました。

紆余曲折あったからこそできる「本当にやりたかった活動」と、心の中で想い描いていること

仕事を辞めた頃から、心の中で想い描いている事がありました。それが『障がいのあるお子さんのお父さんお母さん、家族の悩みや思いを話せる場所を作りたい!』
と、いう今の原点です。
これまで私は保育士や自発管という立場で、多くの方とお話しする機会がありました。

「初めて授かった子が病気に加え障がいがあるとわかり、どうやって育てて行けばいいのか?もう、生きていけないと思った」

「障がいのある孫のことが心配で協力したいけれど『温かく見守っていてほしい。困った時には、お願いするから…』と、言われてしまった。」

「同じことを何回教えても直ぐに忘れてしまい身につかないのでイライラして叱ってしまう。この子の将来が心配 」
などなど、挙げればきりがありません。

この想いを吐き出せるといいのに…

この想いを皆で共有できる場所があったらいいのになぁ…

この想いは、公的機関だけでは解決できない!!

『何とかしたい!!』

こんな想いが、私の中で次第に強くなっていきました。そして行き着いた答えが現在のheart,マザーグースであり、『毎日の苦労が幸せにつながるカウンセリング』です。

私は自分の想いが強すぎて、頑張り過ぎて心身が疲れてしまう癖があります。このことを自覚して意識するようになってからは、色々な方法を使って自分にあった『心のメンテナンス』をするようになりました。
すると最初に『身体が元気』になり、その後を追うように少しずつ『心も元気』になってきたのです。
やはり身体は正直ですね!
心と身体は繋がっています!

『自分のペースで進むことが大切』だと、当たり前だけど忘れがちな事に気づきました。

今これを読んで下さっているあなたに伝えたいのは…
自分のお子さんにどんな障がいがあっても

『心と身体が元気で、笑顔で楽しく穏やかに子育てをしてほしい』ということです。
大切なお子さんと関わっていくにはまず、お母さん・お父さんの気持ち
(心)の安定が大切。

心が安定すると『心のゆとり』が生まれ、今、抱えているお子さんの悩みや問題に対して『前向き』に取り組めるのではないでしょうか?
そのお手伝いができたらとても嬉しいです。


最後まで読んで頂き
本当にありがとうございます。

       あなた一人で抱え込まず、
 ご自分の心の中の感情を解放しながら
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